アイデア工作スクール
2011年01月16日
昨日、何かのお役に立つならと特許庁が行う知的財産教育セミナーの一つ「アイデア工作スクール」に講師として参加してきた。場所は、京都府庁近くの京都まなびの街生き方探求館。小学生とその親を相手に約2時間の授業、と言っても教育委員会のお偉い方々が5人ほど見えられて後方で見ておられる。更に京都みやびジョンが取材に。最初の気持ちは落ち着かない。


しかし、子供たちの発想力はすごいものがある。ちょっとのヒントでどんどん進化していくから、やるほうも心地よく、だんだんといつもの調子になってくる。ここでも褒め殺しとおだてを十二分に発揮。











子供たちの嬉々とした姿を見ていたら、結局時間が足りなくなりそうになり、あわてて結びへ。
最後に里山活動と今山が大変な状況になっていること皆さんに熱く語り、この子供たちが近い将来少しでも関心を持っていただけたらと願う日であった。
しかし、子供たちの発想力はすごいものがある。ちょっとのヒントでどんどん進化していくから、やるほうも心地よく、だんだんといつもの調子になってくる。ここでも褒め殺しとおだてを十二分に発揮。
子供たちの嬉々とした姿を見ていたら、結局時間が足りなくなりそうになり、あわてて結びへ。
最後に里山活動と今山が大変な状況になっていること皆さんに熱く語り、この子供たちが近い将来少しでも関心を持っていただけたらと願う日であった。
Posted by 薪割りくらぶ at
12:59
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今郷地区 山の神例祭
2011年01月07日
1月3日早朝、お世話になっている今郷地区の山の神例祭に参加しました。
AM5:30凜と冷え込んだ空気を感じながら車を走らす。すでに年行事(今年の当番)さんは来ておられてそれぞれ準備を進められている。暗闇の中で新年のあいさつを交わし、取材の御断りをする。行事は6時からとの話に準備を進めていると隣の八幡さまから順次村人が入ってこられる。まず、鉄鍋にそれぞれ持参のお洗米を入れて軽く礼拝。
次々と村人が入ってこられて、場がにぎやかになってきた。ここで年行事さんがいよいよどんど焼きに点火。
例祭場はきれいに掃き清められ、結界が作られている。その両脇には大きなヒノキのご神木があり、しめ縄が結ばれ男形と女形が飾られている。


さあ、いよいよ例祭の始まりです。全員が結界のしめ縄の前に整列し、男の子二人が男形、女形を持って歩み寄ります。そして中央で合体。そこへ年行事さんがお神酒を注ぎます。
続いて参加者全員で祈りの歌を歌いますが、歌の内容は参加者もほとんどうる覚えで判らない。(残念)どうもアワや稗という単語が出てくる。感覚的には山の安全祈願と五穀豊穣が盛り込まれていそうである。

最後に全員が雄祈りをささげて儀式は終わる。
最後にどんど焼きのおき火でお餅とイワシを焼き、炊きあがったお洗米、お神酒が振舞われてすべてが終わった。
この例祭は、甲賀地方ではどこの集落にもある。私も地元で子供のころ何度も経験してきたが微妙に違う。しかし、共通していることは女人禁制であること、男形と女形が祀られること、山の安全と五穀豊穣を願うためこの例祭が終わるまでは山に入るなとの言い伝えがあることなど。
この地方の歴史考えると東海道だけでなく御代参街道、そま街道があり、飯道山は役の行者(エンノギョウジャ)が開いた修験道の聖地であり熊野から分詞された。また、そま川(木へんに山)の名称もある。まさに山の恵みや里の恵みと修験道の信仰などが長い年月の中で重なり、それぞれの集落に根付いたのであろうことが伺える。
いずれにせよ、クラブの安全と末長い活動、地元との交流と絆を深める貴重な体験であった。
AM5:30凜と冷え込んだ空気を感じながら車を走らす。すでに年行事(今年の当番)さんは来ておられてそれぞれ準備を進められている。暗闇の中で新年のあいさつを交わし、取材の御断りをする。行事は6時からとの話に準備を進めていると隣の八幡さまから順次村人が入ってこられる。まず、鉄鍋にそれぞれ持参のお洗米を入れて軽く礼拝。

次々と村人が入ってこられて、場がにぎやかになってきた。ここで年行事さんがいよいよどんど焼きに点火。

例祭場はきれいに掃き清められ、結界が作られている。その両脇には大きなヒノキのご神木があり、しめ縄が結ばれ男形と女形が飾られている。


さあ、いよいよ例祭の始まりです。全員が結界のしめ縄の前に整列し、男の子二人が男形、女形を持って歩み寄ります。そして中央で合体。そこへ年行事さんがお神酒を注ぎます。

続いて参加者全員で祈りの歌を歌いますが、歌の内容は参加者もほとんどうる覚えで判らない。(残念)どうもアワや稗という単語が出てくる。感覚的には山の安全祈願と五穀豊穣が盛り込まれていそうである。

最後に全員が雄祈りをささげて儀式は終わる。

最後にどんど焼きのおき火でお餅とイワシを焼き、炊きあがったお洗米、お神酒が振舞われてすべてが終わった。

この例祭は、甲賀地方ではどこの集落にもある。私も地元で子供のころ何度も経験してきたが微妙に違う。しかし、共通していることは女人禁制であること、男形と女形が祀られること、山の安全と五穀豊穣を願うためこの例祭が終わるまでは山に入るなとの言い伝えがあることなど。
この地方の歴史考えると東海道だけでなく御代参街道、そま街道があり、飯道山は役の行者(エンノギョウジャ)が開いた修験道の聖地であり熊野から分詞された。また、そま川(木へんに山)の名称もある。まさに山の恵みや里の恵みと修験道の信仰などが長い年月の中で重なり、それぞれの集落に根付いたのであろうことが伺える。
いずれにせよ、クラブの安全と末長い活動、地元との交流と絆を深める貴重な体験であった。