ボランティアの意味
2012年03月07日
最近ボランティアとはどういう意味なのか考えることがある。
巷には無償ボランティアとか有償ボランティアとかいろいろ語源がるが、どうも都合のよい時に都合よく使われている。
以前、あるところからナラ枯れの木が沢山あるので切ってみるかとのお話をいただいき、現地確認し活動のスタンスをお話した後、WIN WINの関係からどんな支援が可能か、必要資材の提供は可能か質問した。とたんに出てきた話は、「あんたラボランティでしょ。」である。さて、ではこの意味はどう取るべきか。
ボランティアとはすべて自前で行うことが前提なのだろうか。そういう場合もある。3.11の災害ボランティアなどはそれに類すると思っている。
あるサイトにこんな記述があった。
ボランティア活動、4つの原則
ボランティア活動をすすめる上で大切にしてほしいポイントを「ボランティア活動の4つの原則」としてまとめました。
(1) 自分からすすんで行動する──「自主性・主体性」
ボランティア活動は、自分自身の考えによって始める活動であり、だれかに強制されたり、義務として行うものではありません。友人から誘われたり、あるいは、たとえば学校や会社の行事として参加したり、テレビや新聞で見かけたり……。どんな小さなきっかけでも、自分自身の「やってみよう」という気持ちから、ボランティア活動がはじまります。
(2) ともに支え合い、学び合う──「社会性・連帯性」
わたしたちの社会には、自然保護、福祉、人権、貧困などのさまざまな課題が存在します。こうした課題を発見し、改善していくためには、一人ひとりが考えることと、多くの人々と協力しながら行動することが大切です。ボランティア活動では、ともに支え合い、学び合いながら、一人ひとりが力を合わせて活動することが必要です。
(3) 見返りを求めない──「無償性・無給性」
ボランティア活動を通して、さまざまな人々と何かを成し遂げたり、つくりあげた時、お金では得られない出会いや発見、感動、そしてよろこびがあることでしょう。ボランティア活動では、報酬や金銭的な見返りを目的にするのではなく、精神的な報酬を得るための活動なのです。
ただし、交通費や食費、材料費などの実費弁償については無償の範囲としています。
(4) よりよい社会をつくる──「創造性・開拓性・先駆性」
目の前の課題に対して、何が必要なのか、そして、改善のためにはどうすればよいか。ボランティア活動では、従来の考え方にとらわれることなく、自由な発想やアイデアを大切にしながら、方法やしくみを考え、創り出していくことが大切です。
こんなことが書かれていた。
私などは今までサラリーマンとして企業活動をする中で禄を食んでいた。その時から、労働には有償の行為と無償の行為があると思っていた。
協力者と心の絆を深め、ともに高みを目指す。あるいは、自己実現を図る、社会につながっている喜びを感じるなどなどその理由は沢山あるが、ひとたび周りから労働力の無償提供を求められた場合、これはボランティアなのだろうか。
いずれにせよ強く感じるのは、求める、求められる時の互いの目線の高さが一番問題ではないだろうか。この目線の高さがあった時、心が動く。すなわち世間で言う「粋に感じる」という風にも考える。
果たして皆さんの考えやいかに。
巷には無償ボランティアとか有償ボランティアとかいろいろ語源がるが、どうも都合のよい時に都合よく使われている。
以前、あるところからナラ枯れの木が沢山あるので切ってみるかとのお話をいただいき、現地確認し活動のスタンスをお話した後、WIN WINの関係からどんな支援が可能か、必要資材の提供は可能か質問した。とたんに出てきた話は、「あんたラボランティでしょ。」である。さて、ではこの意味はどう取るべきか。
ボランティアとはすべて自前で行うことが前提なのだろうか。そういう場合もある。3.11の災害ボランティアなどはそれに類すると思っている。
あるサイトにこんな記述があった。
ボランティア活動、4つの原則
ボランティア活動をすすめる上で大切にしてほしいポイントを「ボランティア活動の4つの原則」としてまとめました。
(1) 自分からすすんで行動する──「自主性・主体性」
ボランティア活動は、自分自身の考えによって始める活動であり、だれかに強制されたり、義務として行うものではありません。友人から誘われたり、あるいは、たとえば学校や会社の行事として参加したり、テレビや新聞で見かけたり……。どんな小さなきっかけでも、自分自身の「やってみよう」という気持ちから、ボランティア活動がはじまります。
(2) ともに支え合い、学び合う──「社会性・連帯性」
わたしたちの社会には、自然保護、福祉、人権、貧困などのさまざまな課題が存在します。こうした課題を発見し、改善していくためには、一人ひとりが考えることと、多くの人々と協力しながら行動することが大切です。ボランティア活動では、ともに支え合い、学び合いながら、一人ひとりが力を合わせて活動することが必要です。
(3) 見返りを求めない──「無償性・無給性」
ボランティア活動を通して、さまざまな人々と何かを成し遂げたり、つくりあげた時、お金では得られない出会いや発見、感動、そしてよろこびがあることでしょう。ボランティア活動では、報酬や金銭的な見返りを目的にするのではなく、精神的な報酬を得るための活動なのです。
ただし、交通費や食費、材料費などの実費弁償については無償の範囲としています。
(4) よりよい社会をつくる──「創造性・開拓性・先駆性」
目の前の課題に対して、何が必要なのか、そして、改善のためにはどうすればよいか。ボランティア活動では、従来の考え方にとらわれることなく、自由な発想やアイデアを大切にしながら、方法やしくみを考え、創り出していくことが大切です。
こんなことが書かれていた。
私などは今までサラリーマンとして企業活動をする中で禄を食んでいた。その時から、労働には有償の行為と無償の行為があると思っていた。
協力者と心の絆を深め、ともに高みを目指す。あるいは、自己実現を図る、社会につながっている喜びを感じるなどなどその理由は沢山あるが、ひとたび周りから労働力の無償提供を求められた場合、これはボランティアなのだろうか。
いずれにせよ強く感じるのは、求める、求められる時の互いの目線の高さが一番問題ではないだろうか。この目線の高さがあった時、心が動く。すなわち世間で言う「粋に感じる」という風にも考える。
果たして皆さんの考えやいかに。
Posted by 薪割りくらぶ at
09:49
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薪の価格と熱量の考察
2012年03月04日
先日蓼科に行く機会があり薪事情を見てきた。3.11を思い出しながら、いまどきの薪価格と薪の熱量について考える。

薪の熱量を調べてみると、樹種によって色々差はあるが、一般的に丸めると1kg当たり4100Kcal~4400Kcalである。
これは含水率15%、平衡含水率の場合。完全乾燥薪の場合は約4800Kcalとなる。(資料ファイヤーサイド)
また灯油の熱量は1L当たり約8800Kcalである。すなわち、灯油1Lと薪2kgの熱量は釣り合うことになる。
ところで最近の灯油価格は、1600~1700円/18Lくらいであろうか。1L当たりに換算すると88円から94円程度となる。熱量換算で考えると薪2kg相当ですから薪1kgなら44~47円という価格が導き出される。すなわち1トン当たり44000円~47000円という価格になる。(こうして考えると巷の薪価格は完全乾燥薪相当ということもできる。)
ただ問題は巷の薪価格を高いと考えるか安いと考えるかである。
一般的なストーバーに聞くと、巷の価格は高いという。だから原木を手に入れ自分で作りたいとか安い薪を探すとか、ただで手に入ることを考えるとか。安くエコノミーに暮らすことは良いことである。私もそうあるべきだと思っている。ただし、薪を作れない方々には、薪も購入いただき間接的にでも里山活動に参加していただけると日本の山はよみがえるのではないだろうか。
次に同じことを灯油で考えてみると、灯油を買う人がスタンドで値切っているのを見たことがないが、それは私だけだろうか。灯油は大会社が牛耳っている。また世界の投機市場にある。どうも、薪となる木は周囲にいくらでもあるこのことが逆に薪の価値を認識できない理由に思えてならない。木が沢山あっても薪は沢山ないのに。
3.11以降、コンセントの先を考えると、薪のことが随分クローズアップしてきたが、今福島辺りではその薪が汚染され燃やせなくなっているし、途方に暮れている人たちがいる。安全なはずのエネルギーまでも奪いつつある現状にやりきれない思いである。
あれから1年、里山活動を続けながら身近なエネルギー、安全なエネルギー、持続可能なエネルギーについて考えざるを得ない。薪を焚ける喜び、焚き続けられる喜びをかみしめながら、いま一度未来につなげる日本のエネルギーと環境を考えてみたいものである。

薪の熱量を調べてみると、樹種によって色々差はあるが、一般的に丸めると1kg当たり4100Kcal~4400Kcalである。
これは含水率15%、平衡含水率の場合。完全乾燥薪の場合は約4800Kcalとなる。(資料ファイヤーサイド)
また灯油の熱量は1L当たり約8800Kcalである。すなわち、灯油1Lと薪2kgの熱量は釣り合うことになる。
ところで最近の灯油価格は、1600~1700円/18Lくらいであろうか。1L当たりに換算すると88円から94円程度となる。熱量換算で考えると薪2kg相当ですから薪1kgなら44~47円という価格が導き出される。すなわち1トン当たり44000円~47000円という価格になる。(こうして考えると巷の薪価格は完全乾燥薪相当ということもできる。)
ただ問題は巷の薪価格を高いと考えるか安いと考えるかである。
一般的なストーバーに聞くと、巷の価格は高いという。だから原木を手に入れ自分で作りたいとか安い薪を探すとか、ただで手に入ることを考えるとか。安くエコノミーに暮らすことは良いことである。私もそうあるべきだと思っている。ただし、薪を作れない方々には、薪も購入いただき間接的にでも里山活動に参加していただけると日本の山はよみがえるのではないだろうか。
次に同じことを灯油で考えてみると、灯油を買う人がスタンドで値切っているのを見たことがないが、それは私だけだろうか。灯油は大会社が牛耳っている。また世界の投機市場にある。どうも、薪となる木は周囲にいくらでもあるこのことが逆に薪の価値を認識できない理由に思えてならない。木が沢山あっても薪は沢山ないのに。
3.11以降、コンセントの先を考えると、薪のことが随分クローズアップしてきたが、今福島辺りではその薪が汚染され燃やせなくなっているし、途方に暮れている人たちがいる。安全なはずのエネルギーまでも奪いつつある現状にやりきれない思いである。
あれから1年、里山活動を続けながら身近なエネルギー、安全なエネルギー、持続可能なエネルギーについて考えざるを得ない。薪を焚ける喜び、焚き続けられる喜びをかみしめながら、いま一度未来につなげる日本のエネルギーと環境を考えてみたいものである。
Posted by 薪割りくらぶ at
22:05
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